いそがしい一日

朝.同居のひとが床の上で冷たくなっているぼくを発見.朝の7時ごろから
救急車を呼びつける.重いので運ぶのに手間取ったそうな.この時点で
タイムカード皆勤の夢が潰える.それどころの話じゃないっぽいですが.
で,病院で「昼には帰れるでしょ」とのこと.同居のひとは一安心,
駅でそばなどすすっていたらしい.病院に帰ると,ちょっとやばいので
身体全体に対して透析を行います,従ってここにサインを.今すぐ.
必要.絶対.というわけで承諾書を書かされたそうな.あと,念のため
「ご家族の方を集めてください」とのこと.

ということでパニックになった同居のひと,ひとまずぼくのことを
知ってそうなひとたちに連絡を入れ,携帯電話などから情報を割り出し
実家のひとや姉のひとへ電話をかける.そりゃあもう大騒ぎさ.

13時ごろ一度目の,15時ごろ二度目の透析.その間に数人の友人や先輩,
社長,姉一家などが駆けつけてくれる.17時ごろに透析センターから
その病院の ICU に移動.完全に危篤状態.意識の戻らないぼくは
なんかやたらめったら身体中に管を付けられ,安い RPG のボスっぽく
なっていたらしい.デジカメで撮ろうかとしたひとが数人いたそうだが
さすがに不謹慎と思ったらしくやめたらしい.ちょっと残念ではある.

さて,このままではこのままなので大きな病院に転院します,との
意志判断を同居の人と姉のひととで決定.しかし完全に呼吸が
止まっているため,救急車で移動中も主治医手ずからポンプを
うんせうんせと押しながら移動してくれたそうな.この救急車の中で
「住所と名前を記入してください」とカルテを渡された姉のひとは
自分の住所と名前を書いたらしく,後で医師から問い詰められたらしい.

夜になってから実家から親のひとたちがやってきた.さよならの確率が
かなり高いことを知り泣いていたらしいが,見てないので実感がない.
お見舞いのひとたちもぼくの意識が戻らないので,むしろ来た人同士の
語らいが中心となる.両親のひとが,同居の人や社長と話し合い
病気について深い理解を持ってくれていることを知ってくれたのが
今回の大きな収穫か.とにかく機能しない肺の透析と点滴を続けて
ごぷごぷと周囲に希望と不安をまき散らしながら眠り続けていました.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください